来国俊は、鎌倉末期、来派の刀工である。通称は「孫太郎」と称される。古くから「二字国俊」と同人か別人かの論争がある人物であるが、作風の相違から別人説が有力になっている。

別人説によれば、曾祖父・来国行、祖父・来国吉、父・二字国俊との系譜になる。作風は、豪壮な鍛えを得意とする「二字国俊」と違い、身幅が細く切先は小さめの刀姿で、刃文は直刃が多く、「小互の目」や「小乱れ」交じりの優美な作刀を得意としている。

特に「区」から鋒の先まで狂いもゆがみもない直刃は、来国俊でしか鍛えることができない神技といわれ「来派」隆盛の基を築いたといわれている。

更に、この時代としては稀有な八十五歳という長寿を保ち、子・「来国光」をはじめとする多くの「来派」の門弟の育成に努めた。代表作は、国宝「小太刀 銘 来国俊」日光二荒山神社所蔵。国宝「短刀 銘 来国俊/正和五年十一月日」