伯耆守信高は、永禄六年、美濃国の生まれ。江戸初期に尾張国で活躍した刀工である。天正十九年、関白豊臣秀次の取り成しにより「伯耆守」を受領し、この後、累代が伯耆守を受領している。

「相模守政常」「飛騨守氏房」の二人を合わせて「尾張三作」と称される。美濃国で技術を磨き、慶長十年、名古屋城築城と同時に名古屋へ移住した。同時期に美濃国から尾張国へ移住した集団を「尾張関」と呼称する。

伯耆守信高は、「尾張関」の中心的人物で、尾張藩お抱え鍛冶として尾張徳川家に仕えた。作風は、戦国の遺風である質実剛健を残しつつ豪華さも取り入れた作風となっている。

刀文は沸本位でありながらも、互の目乱れも多用している。 代表作は、重要刀剣 初代伯耆守信高の制作「槍 銘 伯耆守藤原信高」特別保存刀剣 三代伯耆守信高の制作「刀 銘 伯耆守藤原信高」などがある。