手掻包真
手掻包真(てがいかねざね)は、室町時代初期、大和国(現在の奈良県)大和伝手掻派の刀工である。「大和伝手掻派」は、東大寺に従属し、「輾磑門(てんがいもん)」と称された境内西方の門前に居住し作刀した史実から、輾磑門の「てんがい」が訛り、「手掻」と称したと伝わる。表記は「手掻」「輾磑」「天蓋」がある。包真の作品は、刀剣の拓本『光山押形』に応永二十八年(1421年)紀の太刀銘の脇指が収載されている。ほかに銘を差裏に刻した片切刃造の脇指も収載されている。地鉄は、板目肌に小杢を交えてよく詰み、刃文は、直刃でほつれと打のけが細く出来がよく、茎の檜垣鑢が美しい。「包真」の銘が刻まれた刀剣は、室町時代中期の寛正年間、明応年間にも存在しているため、代を重ねた銘だといえる。特に室町時代以降に作刀された刀剣を「末手掻」と称する。
代表作
保存刀剣 短刀 銘 無銘末手掻