伊勢(いせ)国(三重県)で活躍した刀匠。「村正(むらまさ)」を名乗ったのは一人ではなく、室町時代から江戸時代初期までの間に、三代は続いていたとみられる。徳川家を崇る妖万村正の逸話は有名だ。 村正は、優れた斬れ味のみを追求し、実用的な作刀を得意とした。この村正と、 前項の正宗とにまつわるエピソードを紹介しよう。 正宗は自分の鍛えた刀と村正の鍛えた日本刀を上流に刃を向けて小川に突き立てた。そこに、上流から流れてくる一枚の木の葉。木の葉は、正宗の刀を避けるように流れ、村正の刀に吸い寄せられていく。そして、村正の刀の刃に触れ、葉は真っ二つに斬り裂かれた。正宗は、「せせらぎの流れに漂う葉を、触れただけで斬り裂いてしまう斬れ味は見事だが、それだけでは真の名刀とはいえない。刀はただ斬れればよいのではない。悪を切らずに遠ざけるのが名刀というものなのだ。刀を鍛えることは魂を吹き込むこと。斬れ味のみにこだわると、それは邪気となって刀に宿る。そして、その刀は斬らなくてもいいものまで斬り裂き、血を求める妖刀になってしまうのだ」 と、村正を諭したが、村正は、「斬れることこそ刀の真髄」と言い残し、正宗のもとを去った。 二人の名匠の考えがうかがえるエピソードだが、この逸話には疑いがある。
そもそも二人の活躍した時代は重なっておらず、この逸話は後世に創作されたものらしい。しかし、村正と正宗、二人の刀匠の特徴をよく表した逸話である。